おっさんピアノ

「おっさん、やん」

 まただ。ストリートピアノを弾いていた僕は思った。

「おっさん」といえば恰幅のいい五十代既婚者のイメージだったからか、細身の三十代独身の自分が言われれば、またかとは思っても、どこか傷つく。

 僕は自称、イケメンの天才ピアニスト。他称にすれば、髪の毛が薄くなってきたおっさんの下手くそピアノ、といったところか。

 37歳にもなれば、十代の若者よりか、多少の包容力や優しさはある。

 だが、物理的に限界を感じさせるものがある。それが、今の僕にとっては「37歳」という年齢の壁だった。

◼︎37歳を境に、実年齢より実感年齢のほうが若くなるという結果に

“あなたはご自身の「実感年齢」を何歳と感じていますか”という質問に対し、20代、30代は実年齢より実感年齢の方が高いと回答。回答者の実感年齢と実年齢の差分を年齢別に平均したスコアを見ると、ちょうど37歳で実年齢と実感年齢の関係が逆転し、40代以降は実年齢より実感年齢の方が若いと回答。年代が高くなるにつれて、実年齢との差は大きくなり、特に55歳くらいを境にその差は顕著になっていきます。

サライ.jp


『サライ.jp』によれば、「37歳を境に、実年齢より実感年齢のほうが若くなる」というアンケート結果があるらしい。平たく言えば、「37歳ぐらいから、あなたはおっさんとおばさんですよ。でも、自分では認めていませんね」ということか。

 こう解釈した僕は、勝手にショックを受けた。

 ――おかしい。僕はまだ若い。

 仮に37歳が、若さと渋さの間で揺れる年齢だとしても、僕にはまだきっと無限の可能性があるはずだ。


 シラ♯ソラド♪ レドシドミ♪

 モーツァルトの『トルコ行進曲』を弾きながら、僕は「おっさん」と発した声の主をチラ見した。

 やっぱり、だ。

 もうすぐ二十歳になろうかという十代後半と思われるカップルだ。

 定番コースは、僕がストリートピアノを弾いていると、女の方が「うまい」といい、それに嫉妬した男が「おっさん、やん」と連呼する。

 女は、僕のピアノが「うまい」と言っているのだから、「なんで? 下手くそ、やん」なら分かる。だが、この男は、僕の演奏レベルなどまるで視野に入らず、僕の見た目のマズさを指摘する。

「こんなおっさんより、俺の方が魅力的だぞ」と彼女にアピールしたいのだろうが、僕からすればとんだ迷惑だ。

 僕は、この男の恋敵ではない。そもそも、「おっさん」という言葉が聞こえなければ、下手をすれば僕の人生で、一秒たりとも、この男に目をやることさえなかったかもしれない。

 それをわざわざ「おっさん」というから、この男に気を取られることになった。

 僕の貴重な一秒を返してほしい。



 ストリートピアノを弾いている時、「おっさん」という声に反応したのは、実はこれで三回目だった。

 最初の「おっさん」は、不愉快そのものだった。ピアノを弾いている背後から、「おっさん」という、僕の心を狙った目に見えない弓矢が飛んでくる。僕からすれば、人の心に土足で侵入する刺客そのものだ。

 それでも、二回目ともなれば、少し心にゆとりがあり、「若者のおっさんピアノ嫉妬説」の“仮説”を確かめる絶好の機会となった。「うまい」に続く、「おっさん、やん」の声に素早く反応して、男と女の人間関係を確認する。

 女一人に、男二人か。おそらく、女の「うまい」に、「おっさん、やん」と声を発した方が、女に興味をもつ片思い中の男だろうと憶測する。彼氏に続く「第二の男」から、見知らぬおっさんの後塵を拝して、「第三の男」になるのは御免といったところか。

 誰にだってプライドはあるし、興味のある人がすぐそばにいるとなれば、自分をアピールするのは自然な感情だと思う。一方で、その一連の出来事は、ストリートピアノにおける「おっさん理論」が、少し精度の高いものになった瞬間でもあった。



 ――それが三回目ともなれば、「またか」としか思わなくなる。

 すでに確立した理論を疑うほど、僕は暇ではない。

 十代にとって、37の僕はおっさん。

 今は僕を小馬鹿にしている十代の若者も、その内すぐに37、いや、おっさんになるのだから、言いたい人には言わせておけばいい、と割り切ることにした。

 昔、少年だった僕も、三十代をどこか遠い存在に思っていて、いつの間にかその年齢になっていたのだから。人のことは言えない。

 だったら、僕はおっさんでいい。

 ピアノを弾くおっさん。つまり、おっさんピアノだ。

 その若者への当てつけもあって、どうせ同じ「おっさん」になるのなら、その辺の若者に一目置かれるカッコイイおっさんになろう。そう思うことにした。

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